最近、友人のゴルゴ内藤に勧められ、秋吉茂 著『美女とネズミと神々の島』(河出書房/絶版)を読んだ。
これは朝日新聞の記者だった著者が昭和35年に実に38時間をかけて悪石島に渡り、その島で暮らした一カ月間をルポルタージュした本。当時の朝日新聞の人気シリーズ『底辺に生きる』の連載コラムに掲載され大反響となった。電気も医者も医療施設もなく食べ物も充分でない島に住む人々、でも「すべてが無垢で、すべてがおおまかで、すべてが自然そのものである」島の姿が、ルポというより小説のようなタッチで全16章にわたって生き生きと描かれていて、かなり面白い。
僕自身、これまで2度ほど悪石島を訪れたことがあるが、アクセスは鹿児島から片道12時間くらいの週に2便の定期航路のみで、コンビニも八百屋も郵便局も交番もなく、いまだ日本にこんなところがあるのかとびっくりしたものだ。ところが当時は電気や水道もなく、定期航路も月に2便ほど、港もないのではしけを渡して物資などを運びこみ、人々はその絶海の孤島で作物を育て、魚を捕り、大自然と融和しながら生き抜いていたわけで、その根源的な生命力、そこで生き抜こうとする意志などについて深く考えさせられた。
そしていま悪石島に暮らす善の最新ブログ「悪石島の子供達」にある今年の小中学校の卒業式でのエピソードを読んで、いろいろ便利になっていっても悪石島に住む人々の繫がりや魅力は変わることがないのだなあと、なにか感慨深いものを感じた。
悪石島の名前の由来には諸説あって、隠れ住んだ平家の落人が、追っ手が近づかないように恐ろしい名前を付けた、台風などによる崖崩れが絶えないため、島の石への恨みを籠めて命名した、などなど。ちなみに2005年8月に秋吉 茂氏の文学碑が建てられ、そこには「秋吉氏のルポルタージュは、ペーソスがあり、ユーモアがあり、男の憂えと怒りがあり、最も正確な報道文でありながら、すぐれた小説の持つ面白さをそなえている。」とある。悪石島に行った際には、ちょっと足を止めてみるといい。
ところで、いま僕たちはお隣の諏訪之瀬島に強く惹かれて、島の人たちと一緒に祭りを創り上げようとしているわけだが、島での生活振りの歴史に関しては悪石島と特に変わることはない。40年前にヒッピーたちが移り住んだときにも島には何もなく、やはり月に2便ほどの定期航路が来ればはしけを渡し、大自然と活火山と闘いながら作物を育て、生き抜いてきたのだという。
何が人をそこまで動かし、生活を形成し続けるに至ったのか? なぜ諏訪之瀬島だったのか? その理想と現実とは? 島で生き抜く力の源とは? 来たる3/21「トカラ・食の文化祭」でまた諏訪之瀬島を訪れたとき、今度は島の人たちからそんな話しをいろいろ聞くことができたらと思う。
